レインボーベビー②
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そういうわけで紆余曲折の先に、ぽんの妊娠が判明してから出産するまで、私の脳内は常に不安と恐怖で埋め尽くされていた。
「あのようなことが、また起こったらどうしよう。」
妊娠を知った人から
「おめでとう」「楽しみですね」
と言われることに、表面上、お礼を言ったり、同意をしたりながらも違和感しかなかった。
なぜなら、
うれしい・楽しみ・・・5%
怖い・不安・・・・・・95%
毎日、脳内はこの割合で、祈るような日々だったからだ。
「今日も生きていて。無事でいて。」
お花畑になる余地など、まったくなかった*1。
15週あたりから胎動を感じるようになっても
「今日は胎動が少ない?まだ感じていないだけ?」と、それが不安をあおる場合もあった。
私はシステムエンジニアでPMをやっている。
そのため、先々のことを考えて動くのが職業病として身についているのはずなのに、妊娠・出産については、ありとあらゆる準備に二の足を踏むばかりだった。
「やったことが無駄になったら、悲しみを思い出すしこりにしかならなかったら。」
そうやって、毎日祈りながら過ごしていたが、8か月になる頃、こんな詩に出会った。
「この世には“絶対がない”」
「赤ちゃんを亡くした後って本当にこわいことだらけになる」
「願ったり、計画を立てることをしてもいい」
「今あなたのお腹の中にいる赤ちゃんはそれを望んでいるはず。そして本当は、あなた自身も。」
そう、そうなのだ。
本当は、運よく授かった子どもなのだから、心から喜びたいのだ。
けれども、妊娠・出産は、何が起きるかわからない。起きることを防ぐことや、起きた後に何か対処することがほとんどできない。
本当に神の領域だ。*2
自分の身にだって、15%の確率で起きる流産が2回も起きているのだ(宝くじは当たらないのに!)。
予防線を張っても何の意味もないのに、先に進むことがとても怖い。
とはいえ、妊娠には終わりがあって、どんな場合であろうと私のお腹から出てくるのだ。無事に生まれることを祈るしかない。
そう考えると、もう自分でこの恐怖を乗り越えるしかない。腹をくくるしかない。
それから時期も時期だったので、出産に向けて準備をしたり、勉強を始めるようになった。
でも、1日でも早くこの恐怖の日々から解放されたくて、38週1日で計画分娩をした*3。
そして、平成最後の11月21日 15時22分、ぽんは割れんばかりの産声を上げて、この世に誕生した。
そして今、毎日のように、ぽんに伝えている。
「無事に生まれてきてくれて、本当にありがとうね」
暗くなってしまいしたが、次回以降は、ぽんがお腹にくるまでを書きます。