こだぬき ぽんちゃんとの日々

2018年11月に息子が生まれるまでと、その後の日々の記録

レインボーベビー②

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arcadialog.hatenablog.com

 

そういうわけで紆余曲折の先に、ぽんの妊娠が判明してから出産するまで、私の脳内は常に不安と恐怖で埋め尽くされていた。

「あのようなことが、また起こったらどうしよう。」

 

妊娠を知った人から

「おめでとう」「楽しみですね」

と言われることに、表面上、お礼を言ったり、同意をしたりながらも違和感しかなかった。

 

なぜなら、


うれしい・楽しみ・・・5%

怖い・不安・・・・・・95%

 

毎日、脳内はこの割合で、祈るような日々だったからだ。

「今日も生きていて。無事でいて。」

お花畑になる余地など、まったくなかった*1

15週あたりから胎動を感じるようになっても

「今日は胎動が少ない?まだ感じていないだけ?」と、それが不安をあおる場合もあった。

 

私はシステムエンジニアでPMをやっている。

そのため、先々のことを考えて動くのが職業病として身についているのはずなのに、妊娠・出産については、ありとあらゆる準備に二の足を踏むばかりだった。

「やったことが無駄になったら、悲しみを思い出すしこりにしかならなかったら。」

 

そうやって、毎日祈りながら過ごしていたが、8か月になる頃、こんな詩に出会った。

流産のあとに生まれた天使「レインボーベビー」のママに向けた詩に涙 | Conobie[コノビー]

「この世には“絶対がない”」

「赤ちゃんを亡くした後って本当にこわいことだらけになる」

「願ったり、計画を立てることをしてもいい」

「今あなたのお腹の中にいる赤ちゃんはそれを望んでいるはず。そして本当は、あなた自身も。」

 

そう、そうなのだ。

本当は、運よく授かった子どもなのだから、心から喜びたいのだ。

けれども、妊娠・出産は、何が起きるかわからない。起きることを防ぐことや、起きた後に何か対処することがほとんどできない。

本当に神の領域だ。*2

自分の身にだって、15%の確率で起きる流産が2回も起きているのだ(宝くじは当たらないのに!)。

予防線を張っても何の意味もないのに、先に進むことがとても怖い。


とはいえ、妊娠には終わりがあって、どんな場合であろうと私のお腹から出てくるのだ。無事に生まれることを祈るしかない。

そう考えると、もう自分でこの恐怖を乗り越えるしかない。腹をくくるしかない。

 

それから時期も時期だったので、出産に向けて準備をしたり、勉強を始めるようになった。

でも、1日でも早くこの恐怖の日々から解放されたくて、38週1日で計画分娩をした*3

 

そして、平成最後の11月21日 15時22分、ぽんは割れんばかりの産声を上げて、この世に誕生した。

 

そして今、毎日のように、ぽんに伝えている。

「無事に生まれてきてくれて、本当にありがとうね」

 

暗くなってしまいしたが、次回以降は、ぽんがお腹にくるまでを書きます。

 

 

*1:マタニティライフを楽しんだり、マタニティフォトとかを撮れる方が本当にうらやましいです。

*2:そう考えると、産科医の方や助産師さんは本当にすごい世界で仕事をされていると思います。尊敬します。

*3:これについては追々書きます

レインボーベビー①

私は38歳になった直後に、いわゆるアラフォーでの「高齢初産」で、ぽんを出産した。

ぽんは、いわゆる「レインボーベビー」だ。

「レインボーベビー」とは、流産や死産の後に生まれた赤ちゃんのこと。

ぽんを出産する前、34歳の頃に2回妊娠し、1回目は6週で完全流産、2回目は心拍確認後の9週で稽留流産となった。

 

 

夫との子どもがほしいとは思っていたのに、なかなかできなかったので、不妊治療専門院で夫ともに検査を受けた。

約1か月の検査の後、特に問題はないと言われたがタイミングを診ていただき、この2回の妊娠を経験した。

 

2回目の妊娠→流産後、私の中で何かが変わった。

「赤ちゃんの心拍が止まっている。」

その事実を思い出すような何があると、感情は動いていないのに、ひとりでに涙が出てるようになった。

ぽんを産んでから変わるかと思ったが、変わることはない。

 

染色体異常だったのだろうし、死産や生後まもなくで子供を亡くされた方と較べたら、この悲しみや苦しみのレベルは、ひっかき傷くらいなのはわかっている。

とはいえ、ほんの少しの時間だったとしても「"生きていた"子どもをなくす」という経験をしたあとは、時間がどれだけたっても、そのあと新たな子どもを授かろうが、自分のどこか奥深いところに、何かが壊れるような、体が引きちぎられるような感覚が横たわっているのだ。

 

おそらく、これは経験された方しか、わからないかもしれない。

おそらく、これは私が死ぬまで、抱える感情なのかもしれない。

 

 

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