こだぬき ぽんちゃんとの日々

2018年11月に息子が生まれるまでと、その後の日々の記録

ぽんちゃんがお腹からでるまで②

前回のつづきです。

 

出産日の決定

もともと予定日は12月4日だったのですが、計画分娩なら38週以降の平日、といわれたので、夫の仕事の都合と、39週だと陣痛が来てからになりそうだし、ぽんもすでに大きい(34週で2700グラム)し、で11月20日(38週0日)を選択しました。何となく、こんな感じでぽんの誕生日が決まるのは味気ない感じがしましたが、まあ仕方ない。

 

いざ、出産入院

臨月に入ってからの2週間は、夜眠れなくなっていたのですが、前日も例外なく、横にはなっていましたが、完徹。寝ずに出産に挑むことに。

朝8時に病院に到着し、夫ともに3畳ほどの陣痛室に入りました。もっと緊張するかと思いましたが、今一つ緊張せず。

産院の計画分娩はバルーンで破水させ、陣痛促進剤で陣痛を起こします。

  • 8:40 バルーン挿入

        →痛いのかと思ったけど、異物感のみ

  • 10:00 陣痛促進剤投入開始

        →ちょっと痛いかな?くらい。産院のiPadでクイーン*1を聴く余裕あり。

  • 12:00 破水

        →感覚なし。体験できなくて残念に思う。産院から出された昼ごはん(スパゲッティ)を普通に食べる余裕あり。

  • 13:00 麻酔開始

         →背中から入れられる。入れたあと、軽い腹痛くらいに収まる。

  • 15:00 子宮口7センチ

         →夕方から夜には産まれるねー、初産婦さんなのに早いねーとほめられる

 

ぽん、お腹から出るのを拒む

しかし、ここからまったく子宮口は開かず、ぽんも降りてこなくなってしまったのです・・・!

ちなみにまったくの無痛ではなくこの段階でちょっと重めの生理痛が常にある感じでした。

  • 17:00 助産師さん、交代
  • 18:00 状況、変わらず。20:00でどうするかジャッジすることに。しょげながら晩ごはん
  • 20:00 ジャッジ。状況変わらず

地味に鈍痛がボディーブローのように効いていました。こんなに長くなるとは思ってなかったので、何でもいいから早く終わらせてほしい!!という気持ちでいっぱい*2

先生と助産師さんがひそひそ相談してるのが聞こえました。

先生「吸引もありかな」

助産師さん「バースプランに吸引と鉗子は嫌って書いてましたよ」

先生「そっかー、じゃあ一晩熟成させるかー」

何でも良いといいながら帝王切開、と言われるかも、とヒヤヒヤしていた私は、驚愕しました。

あれ(バースプランの記載)って、そんなに重要だったんだ・・・*3

今さら後に引けないと察し、「もういいです」という謎発言をしそうだった自分をぐっとこらえました。

 

先生「あのね、まだ赤ちゃんが降りきってないから、一晩待ちましょう。明日また仕切り直しで8:30から再開します。促進剤は止めるけど、麻酔は入れたままだから」

助産師「赤ちゃんは元気ですから安心してください*4

 

というわけで、一晩熟成させることになったぽん

ひとまず夫は帰りました。叫ぶほど痛くはないし、苦しいわけでもないので、特にすることもなく、立ち会うほうも地味に辛かったと思います。

 

すでに30時間くらい起きたままだったので、寝ました。

・・・が、3時間ほどたった頃、何か便意のような、おしりの下のほうで感じる強めの鈍痛で起きました。

助産師さんに「トイレに行きたい」と訴えて連れていってもらいました*5が、特に何も出ず「これは赤ちゃんなんじゃないか?」と思い、麻酔を足してもらうと、楽になりました。後になってわかりましたが、やはりこれは、ぽんが降りてきて頭が骨盤に挟まっていたようです。

 

仕切り直して翌日

翌朝、先生と助産師さんの内診。先生の読みどおり、一晩の熟成がよかったらしく、ぽんはかなり下に降りてきました。

「お昼頃には、分娩にいけるかも」と先生は言い残して、外来の診察のために去っていきました*6

また、助産師さんが交代して、母親学級の時の助産師さんになり、巡り合わせを感じ、この助産師さんの間に産むぞ!と決意しました(じゃないと、やばい)。

  • 8:30 麻酔、陣痛促進剤再開
  • 10:30 子宮口8センチ
  • 12:00 子宮口9センチ

         →さすがにこの頃になると、痛くて昼ごはんは半分くらいしか食べられず。ここで最後の麻酔を注入

  • 13:30 子宮口全開、陣痛の波を感じながらいきむ練習を開始

         →いきめない、ということはなかった。陣痛は、下痢(汚くてすみません)のひどい時の程度

  • 14:30 陣痛室脱出→分娩室へ

         →歩けないこともないけど、車椅子で移動

  • 14:45 分娩開始

         →だんだん麻酔より陣痛が勝ってくる。陣痛に合わせながら、助産師さんの指示によりいきむ。途中、もう一人の助産師さんにお腹を押してもらう

  • 15:22 ぽん、誕生

         →5分くらい前に会陰切開のために助産師さんが先生を呼ぼうとしたけど、私がうっかりいきんでしまい間に合わず、会陰損傷(涙)

 

というわけで、あしかけ30時間半かけてぽんは産まれたのでした。

 

産まれたあと

ものすごく大きな声でオギャーーー!!!と産まれたぽん。見た瞬間思ったこと。

  • よかった、元気だ
  • でかいな、やっぱり
  • あれ、みんなのたあ坊に似てる
  • ◯玉、でかくない?*7
  • これ、裂けたよね

もっと感動するかと思ったのですが、無事に終わったことへの安堵感と、裂けたことへのおののきで胸がいっぱいでした。

きれいに拭かれた胸のところに来たぽんに「これからよろしくね。よく頑張ったね」と声をかけました。

体重は3126グラム。40週まで待ってたら、かなりやばかった気がします・・・。私、ナイスジャッジ!!

2日がかりになったのは、11月20日は仏滅で翌日の21日は大安だったので、仏滅生まれが嫌だったのかな、と思うようにしました。

それにしても、新生児は土偶、もしくはガッツ石松田中邦衛になると聞いていたので覚悟はしていたのですが、例外なくなかなかパンチのある顔で、

つり目になったみんなのたあ坊

ガッツ石松寄り→古田新太→子猿

→こだぬき→こだぬき、たまに貴景勝もしくは笑うと高見盛似(現在ここ)

という変遷を辿っています。

母としては八代目市川染五郎くんのようになることを希望していますが、絶対無理(笑)。そして、長時間、母の骨盤に挟まっていたので、吸引してないのに頭が長かったのがしばらく気がかりでした。

 

総括

▼無痛分娩の是非

普通分娩の陣痛を体験してないので、実際の痛さはしりませんが、母親になるために陣痛を耐える必要があるか、と言われると「ない」と自信をもって答えられます。

痛みで体力を消耗するくらいなら、別のことに体力を使ったほうが良いです、絶対。そして、普通分娩で産んだ方に対しては、尊敬しかないです。

出産後、会陰の痛みはすごかったですが、すぐに体力が回復し、帰宅してからも結構早めに新生活に適応できました*8。  

それに痛みへの恐怖はなく、比較的冷静でいられたと思います。

あわせて「ぽんはかなり苦かったんだろうな、耐えてくれてありがとう」と思う気持ちが強く、無痛分娩だから子どもをかわいいと思えない、なんてことはないです。

無痛はプラス10万円でしたが、その価値はあると思います。

そして、もし無痛ができる環境や条件があるのに、旦那さんがその分のお金をケチろうとしたら、奥さんであるあなたには

「産むのはお前じゃないよね?」

という権利があります!

 

▼無痛分娩は危険なのか

麻酔が体に合う、合わないはあると思いますが、実績のあるところなら無痛自体が危険ということはないと思います。

素人考えですが、おそらく危険性が高いのは計画分娩じゃないかと。無痛分娩の場合、一般的に病院の都合で計画分娩になることが多いので、初産の場合、私のようになかなか子宮口が開かない、赤ちゃんが降りてこない、というトラブルや、いきみが感覚的につかみいかないとかによるものがあるのかな、と。

実際、私もここでひねり出さないと、出てこない気がする!と本能的に思ってしてまい、助産師さんのストップを待たずにいきんでしまい、会陰がかなり裂けました*9

分娩は十人十色で、何が良いか悪いかもありません。ただ、どんな分娩方法にしろ、予行練習もなくぶっつけ本番でやるしかないし、母体だけでなく赤ちゃんにとっても、何であんな危ない方法でしか産むことができないんだ!!と憤りを感じます(笑)。

まじで男の人は、奥さんに感謝したまえ

 

という感じで、無事に産まれてきたぽん。これからもすくすく育ちますように!

 

 

 

*1:ボヘミアン・ラプソディを観に行きたかったけど、公開日が臨月に入ってからだったので、観に行けなかった

*2:普通分娩だったら、こんなレベルでないのはわかっていますが

*3:それだけ、患者の意向を聞いてくれる、という良い病院なのかもしれませんが

*4:常に心拍はモニタリングされている。ぽんはありがたいことに最後まで元気だった

*5:麻酔が効いてるので思うように動けない

*6:もはや、先生の長年の経験知を信じるしかない

*7:翌日には小さくなってました

*8:産院が夜中は母子別室もOKで母体の回復を優先させるほうしんだったのもありますが

*9:結果的にはよかったようですが

ぽんちゃんがお腹からでるまで①

ぽんの出産は「無痛分娩(計画分娩)」を選択しました。

ぽん、全面的に現代医療の力を借りて、この世に生まれてます(笑)。

 

産院選択の最優先事項は

「無痛分娩ができること」

でした。

 

今思えば、結果として問題ありませんでしたが、「体外受精&高齢初産」だったことを考えると、もっと考えるべきだった気がします*1

 

無痛分娩を選択した理由

なぜ無痛分娩にこだわったかというと

  • 里帰りしない。産後のヘルプもない。その上、高齢*2だし、体力消耗を避けたい
  • もう痛いのは嫌。痛いのは我慢しない主義

という理由。2つ目は、ちょっと曰くつきで。

26の時に虫垂炎になったのですが、ゴールデンウィークが重なり、1週間くらい痛いのを我慢しました。その結果、腹膜炎を併発してしまい、あと半日で死ぬところでした*3。その後、たかが虫垂炎で11日も入院し、5月はほぼ会社に行きませんでした。

その時の執刀医(野村萬斎氏似)に言われたこと

「いいかい?痛いのはがまんしちゃ、いけないよ」

をその後の人生では、ことあるごとに全力で拡大解釈し、痛いことは避ける方法があるのであれば、それを選択するようになりました。

当然、体外受精時の採卵も麻酔を使用してもらいました。しかし、1回目の採卵時によっぽど卵がとれなかったせいか、先生は膀胱を突き刺してまで採卵しようとして、術後、血尿&激痛

それもあって、出産は絶対に無痛分娩にする!誰に何と言われようが産むのは私!ということで、市内で24時間無痛分娩が可能な実績多数の産院を選びました。

 

選択した産院

話がだいぶそれました。

▼病院の特徴

選択した病院は主に産科に特化した診療所(10床以下)で、小児科が併設されています。この設備で年間800件以上のお産を請け負っている、というなかなかの強者なクリニックです。

市内だと分娩可能な産科は、あと総合病院(NICUはなし)が1つだけ。少子化とはいえ、首都圏の人口が20万人近くいる市町村で2つしかないとは。時代ですね。

それにしても、産科は不妊治療クリニックとは別世界。正直なところ、しばらく動揺しっぱなし。

  • 患者の年齢層が低い。平均30代前半くらい?自分と同じくらいの後半と思われる方は、だいたい2人目
  • 子連れが多い(不妊治療クリニックは子連れ禁止)。だいたい2歳差くらいで第2子を出産するのね。少子化って嘘なんじゃないのか?というくらいいる
  • 不妊治療クリニックのような張りつめた空気が一切ないアンパンマンのビデオが流れてるし、生まれたときのハッピーバースデーの歌が聞こえる。この世にこんなハッピーでユルい空間があるのか

不妊治療クリニックの先生に産科の希望を聞かれて「あー、あそこは人気だからねー、早めに分娩予約しにいかないと*4」と言われたので、クリニックを卒業したお仲間が多いのかと思い込んでいましたが、やはり初産婦のみの母親学級も、みなさんお若い。芸能人の高齢初産のニュースに惑わされてはいけないなあ、と改めて思いました*5

 

▼先生の特徴

そこの先生はとても優秀なのですが、本当に「案ずるな、産むがやすし」*6派でして。

  • 体重管理?そこまで気にしなくていいよー*7
  • カフェイン?気にしなくていいよー
  • タバコはダメだけど、お酒はちょっとならいいよー
  • 重いものをもつ?気にしなくていいよー

あんまり細かいことを患者からいうと

「そんなこと言ってたら、人類は滅亡してる!」

と怒られるらしいです。

私はたいがい、これまでの人生、何かあれば脳内ゆってぃ

「ちっさいことは気にするな、ワカチコワカチコ~~」



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と励ましてもらってますが、高齢初産で不妊治療クリニック卒の若干ハイリスクな私*8は、先生のワカチコっぷりに毎回当てられっぱなしでした。今思うと、自分の心配っぷりと先生のワカチコっぷりで、ほどよく中和していたのかもしれませんが。

あと、先生がエコーでぽんを診てくれる際に「かわいいねー!いい男だねー!」などとテンション高めに言ってくれるのですが、ぼんやりした4Dの映像だったので、正直よくわからず反応に困っていました(笑)。

 

▼ぽんの経過

最初から何となく大きかったぽんですが、中期あたりからサイズが2週プラスくらいの大きさでした。

15週には、ついているものが見えてしまい、性別が判明。何となく男の子だろうと思っていたのですが、正解でした。

健診の際には、大きいと言われる以外、特に問題もなく、36週の時点で推定2700gになっていました。

 

▼バースプラン

ゆってぃな病院を選択しながらも、幸運にも大きなトラブルもなく妊婦ライフを送りました*9

出産のスタイルは

  • 普通分娩(陣痛もしくは破水後分娩)
  • 計画分娩(陣痛促進剤+バルーン)
  • 普通分娩+無痛  
  • 計画分娩+無痛

が選択可能でしたが、上記の理由と、夫に立ち会ってもらえる(ただし陣痛室まで。夫婦の希望)ように計画分娩+無痛にしました。

ちなみに、初産の場合、陣痛もしくは破水がきてからになるケースが多いらしいですが、34週の内診でOKが出たので計画分娩になりました。

いよいよ妊娠後期、いろいろな方のブログを見ていると、無痛分娩→いきめない→緊急帝王切開もしくは吸引、鉗子分娩で事故というケースが多い、と気づきました。

そのため、入院前に提出するバースプランに「できる限り吸引分娩・鉗子分娩はしたくない」と書きました。

これがある面で吉、ある面では凶と出ましたが、長くなったので、分娩の実際はまた次回です。

 

 

 

 

*1:ほんとにまずかったら産院側も断ると思いますが

*2:この言葉は今後、ことあるごとに言い訳に使う予定です笑

*3:虫垂炎って診断がしにくいらしいですが、昔の人はよくそれで死んでいたみたいです

*4:実際、7週でしに行きました。9週だとアウト

*5:都心だとまたちがうのかもしれませんけどね

*6:入院準備のメッセージに書いてあるくらい

*7:さすがに体重は増えすぎると、裏で助産師さんからツッコミを入るらしいですが

*8:流産のこともあった上に、この頃やっとコウノドリのドラマや漫画を読めるようになった私は、いろいろな症例や現実を知って、出産にすっかり怖じ気づいていました

*9:とはいえ、会社には産休ギリギリまで毎日、命懸けで行っていました。年齢のこともあるので、出生前診断は別の病院で受けました。初期に遺伝カウンセリング+超音波診断+血清マーカー、中期にセカンドオピニオンとして超音波診断。ここでは割愛します

ぽんちゃんがお腹にやってくるまで③

前回のお話のつづきです。

 

◆そして、移植

▼移植前

さらに1ヶ月、ピルで卵巣を休めて、移植周期。

このピル(プラノバール)!どうも体に合わなかったようで、吐き気、めまい、鬱状態が続き、辛かったです*1。もう二度と飲みたくない・・・。

 

▼移植1回目

移植はホルモン補充を選択。ピル周期との落差が激しく、エストラーナテープを貼ると、なんだか女らしい穏やかな気持ちになるのが不思議でした(気のせいかもしれませんが)。

 

慣例的に一番グレード良い4AAを移植しました。しかし、こちらはかすりもせず。

診察室に入った瞬間、しかめっ面していた先生いわく。「染色体異常かな?あなたの年齢なら30パーくらいだからねー」

4AAなのにダメって・・・。のこりはさほど良くない2つなのに。

ということで、かなり落ち込んでしまい、「残ってるのグレードが微妙だし、次の採卵、考えたほうがいいですかね?」と聞いてしまい、

「いや、まだ2つあるし!胚盤胞になってる時点で可能性はあるから!」と先生を慌てさせました。

その後、しばらくウジウジと検索魔。

しかし、卵のグレードがどうであれ、「染色体異常があるかないか、それがすべて」(某有名クリニックの先生のブログ記事)という記事を見かけ、自分を震い奮いたたせました。

 

▼移植2回目

そして、翌月、同じくホルモン補充で4BBを移植しました。

移植後から判定までの9日間は

  • なぜかスマホ断ちをし、東野圭吾氏の小説を読み漁る*2
  • 休みの日はよく歩く
  • ストレッチをする

という感じで、乗り切ってみました。

 

迎えた判定日(BT9)。特にそれまでに変わった症状もなかったので、期待せずに診察室に入ると真顔の先生とhcg625と書かれた紙が。先生に20週妊娠継続率93%と言われても、実感がなく真顔の私。

「あー、陽性のなのか、妊娠したのか」

くらいでした。感情がほぼ動かず、そのことに驚いてました。

たぶん、この後に続く胎嚢→胎芽→心拍確認の高い高いハードルが待っていたからだと思いますが。

 

こうして、ぽんちゃんがお腹にやってきたわけです。

結局、胚盤胞のグレードはただの見た目で、染色体異常があるか、ないかはわからんのですよね。移植してみないと*3

 

その後、毎日祈る気持ちでひとつひとつのハードルを飛び越え、9週でクリニックを卒業しました。

 

◆まとめ

いろいろ運がよかったと思います。

楽に通える範囲に、自分に合ってる病院があり、短期決戦のつもりはありませんでしたが、体外受精の期間は約半年で終えられました。

半年、というと短いですが、初めてのことに挑戦すること多く、濃く長い長い半年でした。

結局、2年間妊娠できなかった理由は、これというのがはっきりしませんでしたが、主に加齢との戦いだったと思います。

一応、その前から

  • 23時に寝る
  • 朝ごはんをきちんと食べる(卵摂取)
  • ビタミンC、D、Eのサプリをとる
  • 甘いものは食べない

というのはやっていました。

健康的な生活、大事。もう若くないなあ・・・と思い始めたころに、こういう生活になったので、今後のことを考えてもよかったと思います。

2年ほど粘ってしまいましたが、もう少し早めに体外受精に踏み切っておけばよかったかも。

というわけで、こんな選択もありましたよ、ということで。

 

では、次回以降は、出産までから出産(無痛分娩)編です。

 

 

【最近のぽんちゃん事情】
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今日で生後100日!

だけど、ぽん、毛が生えない・・・。

ぽんが生まれたばかりのころ、まんぷく(朝ドラ)の福ちゃんの息子、源ちゃんが月齢3ヶ月くらい。ぷっくぷくやなあ、と思って観てましたが、うちのぽんも見事にぷっくぷくになりました。

まだ、身長は60ちょいなのに、70のお洋服がジャストサイズ疑惑あり。

 

 

*1:何気に採卵より辛かったかも

*2:現実逃避をしたいときによくやります。1日1冊、東野圭吾。と題して300ページくらいのなら1日で読みました

*3:でも着床前診断をやればわかりますよね・・・いろいろ議論はありますが

ぽんちゃんがお腹にやってくるまで②

前回のお話のつづきです。

結論からいうと、戦歴(2017.9~2018.3)は

  • 採卵→2回(1回目は全部空胞で全滅、2回目で3個の胚盤胞を凍結)
  • 移植→2回(1回目はかすりもせず)

でした。

 

◆治療の前提

通院していたのはこんな病院でした。

【病院自体について】

  • 地元で徒歩10分
  • 休日は平日1日、日、祝日
  • 基本的に院長が1人*1
  • 先生は気性も口調も優しい。強制もなく、こうしたら?というスタンス
  • 通院回数は少なめ(採卵・移植前2回、採卵・移植日、採卵・移植後1回)。*2

→通院中、不快さや苦痛を感じたりがなかったので、ほぼノーストレスでした。

もちろん、他の病院と同じく予約があっても時間通りに診てもらえることは少なく、待ち時間も長かったですが。

 

【病院の治療方針】

  • 誘発の方法は低刺激~高刺激まで、患者の特徴や希望に合わせて選択可能
  • 40歳未満は胚盤胞→全胚凍結を推奨。希望すれば初期胚も可。
  • 移植は自然周期、ホルモン補充周期が選択可能*3
  • 希望したら漢方薬(クラシエツムラ)を処方してもらえる*4
  • その他はシンプルイズベスト。移植時の胚盤胞のAHAもなし*5

→方針はスタンダード。今思うと、卵のデキが一番重要というスタンス。原因が卵だけじゃなかった場合、たぶん行き詰まった可能性があるかなあ。

 

◆いざ、採卵

刺激方法は、AMHは年齢よりやや高いほうなので、アンタゴニスト法を選択し、自己注射で卵胞を育てました。

 

▼1回目の採卵

9月に実施。上記の通り全滅。左右で20個の卵胞が育っていたのですが、トリガーの点鼻薬(ブセレキュア)が合っていなかったのか、遺残卵胞ばかりだったのか。

次回はトリガーを変えて挑むことに。*6

▼2回目の採卵

2ヶ月おいて12月に再実施。

トリガーをhcgに変更。

無事に17個採卵。

全部を体外受精にして、13個受精→3個胚盤胞(4AA、4BB、4BC)に何とかなりました。

年齢の割にはビミョーな成績だったのがちょっと残念。

成績を見せてもらったときに、なぜか何となく4BBが行けそうな気がしました。

トリガーがhcgだったのでOHSSになり、採卵後しばらく経って腹痛に苦しみました。

 

◆ここまでのまとめ

体外受精では、これまでとは違い、桁違いに医療費がかかり、結果が数値によって可視化されるようになりました。

まるで試験を受けて、合格発表を待っているような感覚でした。

その反面、新たなことにチャレンジしているという高揚感があり、目指すものも明確になったので、停滞感が消えてその分は楽になったと思います。

ただ、自分の努力では、どうすることもできない部分も多く、そういう「絶対のない世界」があることを改めて痛感しました。

余談ですが、1回目のトリガーが効かなかったと思われる件は、フレアーアップが起きづらい体質だったり、鼻炎だとダメなことがあるようです。

 

次回に続きます。


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*1:たまに雇われ医師がいるときがあるけど、私は院長のみ

*2:これは、院長が「通院しているのは仕事を持っている人が多い。不妊治療でキャリアを諦めてはいけない」という考えによるようです

*3:でも休みが多いからだいたいホルモン補充になってしまう

*4:1回目の採卵後に温経湯、移植に向けて当帰芍薬散と柴苓湯を服用してました

*5:何で?と培養士さんに聞いたところ、効果があるという論拠がないし、うちは胚盤胞を殻のギリギリまで大きくしているから実施しない、とのこと。素人考えですが、徒に力のない胚盤胞に対してAHAをして着床しても流産してしまうから、という面があるのかも、と思います

*6:採卵費用はほぼ戻ってきたけど、自己注射代で沖縄旅行に行けたな~、とか何度も考えてしまいました

ぽんちゃんがお腹にやってくるまで①

34歳で2回目の流産をしたので、不育症の検査をしましたが、特に問題ありませんでした。

そのため、そこから2年ほど一般不妊治療といわれるタイミング法や人工授精でがんばっていたのですが、35歳の壁なのか、まったくかすらず。

ちょっと問題かな、となったのはインスリン抵抗性くらいで*1、原因もわからず、どんどん精神的に追いつめられていきました。

通っていた病院は不妊治療専門院で、体外受精もできました(むしろそちらがメイン)。

しかし、私は過去の自然妊娠実績があるからか、先生から積極的に高度治療を勧められませんでした。

そして私自身、正直なところ体外受精に抵抗がありました*2。理由はこの2つです。

  • 子どもができるのは神の領域だし人間の手で作るなんて不自然すぎる
  • 高額な費用をかけてもできる保証はどこにもない(ある意味ギャンブル)

 

でも、こんな思いも強くあり。

  • 子どもはほしい
  • いや、本当にほしいのか?意地になってるだけなんじゃないか?
  • 意外とこういう気持ちがストレスになってできないんじゃないのか?

 

とはいえ、妊娠には年齢制限もあるし、この無限ループな状況を打開するためには、真剣に体外受精を選択肢に入れないといけないと考え始めました。

そして、半年かけて、この抵抗感をなくすために考え抜いて夫とも話し合いました。

 

1つめの抵抗感は、物事を理解するのに単純化する癖があるのですが、自問自答するなかで、ある日突然、

体外受精って、なかなか出会えない卵子精子を外でお見合いさせて、気に入ったらお家に戻してあげるだけじゃん

と思えるようになり、なくなりました*3

 

2つめの抵抗感は、

今までの人生で、こんなに欲しい、叶えたいと思ったことって、大学受験と夫以外であったか、いやない(反語)

それを叶える手段があるのに、これまで貯めたお金を使わないなんて

そもそも、そのお金は子どものために貯めてたのに使う目的が存在しなきゃ意味がないじゃん!

と腹を決めることで、なくしました。

 

やらなくて後悔、より、やって後悔するほうが良い。

そして、2017年9月、36歳で初めての採卵に挑むことになりました。

 

 

今だから言えますが・・・。

  • 年齢がそう若くない
  • 原因がわからず苦戦している
  • 費用がある程度、工面できる
  • 子どもがどうしてもほしい

という方で、上記のような理由で二の足を踏んでいるのであれば、早めに体外受精を選択肢にいれることをオススメします。

やってみると、言うほど大変なことではないはずです(もうやりたくありませんが)。

というか、これに限らず未知のことだったとしても、生死にかかわるわけではない*4ことで、たいていのことはやってみると大したことはないことが多い気がします。

 

というわけで、体外受精の実際はどうだったのか?

次回に続きます。

*1:そのため糖尿病ではありませんが、治療のためにメトグルコを服用していました

*2:この頃は、体外と顕微授精、初期胚と胚盤胞、自然周期とホルモン補充周期の区別すらついていなかったのですが

*3:実際やってみると、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。そんなに簡単に受精卵にならないし、なっても着床しない。あくまで医療は、そのプロセスのお手伝いレベルだし、まったく神の領域ではない

*4:あくまで自分の、です。出産はまた別だと思っています

ぽんちゃん、3ヶ月を迎える

ぽんちゃん、無事に3ヶ月を迎えることができました。いろいろ変化が出てきたのでメモメモφ(..)

 

◆身体の変化

  • 身長61センチ(たぶん)
  • 体重6.5キロ
  • おむつはメリーズMサイズ
  • あんよがむちむち
  • 乳児湿疹が治まった
  • おへその肉芽腫が治った
  • 頭からおっさんの臭いがする
  • もうすぐ首がすわりそう

 

◆生活サイクルの変化

  • 授乳は1日6回、1回当たり160ミリリットル
  • 夜中起きずに22時から7時まで寝るようになった
  • 日中、起きているときに泣かない時間が増えてきた(場合によっては、ほぼ泣かない)
  • ベビーカーでのお散歩が日課(しかし、ほぼ寝ている)
  • うんちは毎日でるようになった(↓これのおかげかも)

 

 

◆できる(やる)ようになったこと

  • 喃語でおしゃべりする*1
  • ハンドリガードのような動きをする
  • 両手の指と指を胸の前で合わせる
  • こぶしをなめる
  • オーボールやリスのぬいぐるみのガラガラが持てる
  • 布製のものを引っ張る
  • 首を動かしてキョロキョロする
  • 追視のような目の動きがある
  • ママを見てニッコリ*2
  • パパを見てニッコリ*3
  • メリーを追視、ニッコリ
  • 手足を激しくバタバタ
  • うつぶせで45度の角度で頭を上げる

 

思い過ごしかもしれませんが、目の奥にぽんちゃんなりの意思というか自我のようなものを感じるようになりました。

また、手を使いたがっている様子があるので、知育玩具を買ってみました。

 

オーボール ベーシック

オーボール ベーシック

 

 

今のところ、オーボールがお気に召したようで、両手の指にひっかけて持っています。

 

最初の1ヶ月半は、正直なところ表情もやれることの変化がなくてこんなもんか、と思ってたのですが。

最近はいろいろできるようになることが増えて、毎日かわいくてキラキラした存在に思えるようになってきました。

これからもすくすく育ちますように!

 

 

【今日の1曲】

私生活

私生活

子どもを生む前から思っていたけど、これは親から子へのラブソングだと思います。

これはこれで、ちゃんと解釈をまとめたい。

 

 

*1:この世にこんなかわいい声があるのかと、毎日驚嘆

*2:初めてしっかりニッコリしてくれたときは、うれしくて号泣

*3:ただし、思い出すのに時間がかかるようで、初めは目を合わせようとしないwww

ぽんちゃん、こどもちゃれんじBabyを体験する

  • こどもちゃれんじBabyが良いかもれない件

夫が注文するかどうか悩みに悩んで、結局お願いした、こどもちゃれんじBaby

初回のメリーが届いてから、私は最初「DMすごいし、みんなと同じになるのもビミョーだし、何だかなあ」と穿って見てたけど、意外や意外?、ぽんはメリーに夢中です。

しかも、最初は見てるだけだったのが、日を追うごとに、だんだん自分から積極的にいろいろさわるようになってきて、ちょっと成長を感じる・・・!

たまに声がけをしつつ、だいたい30分から1時間くらい一人で楽しそうに遊んでいます。


手足をバタバタさせて、いろんなところをさわって楽しそうなぽんの図。

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だいたいこの後、眠くなって泣き出して少し寝る→ミルクの流れ。

起きている時間でも、機嫌が良い時間が増えたので、すごく助かります。

Benesseさん、だてに長年、幼児教育教材を売り続けているわけではない。こんな教材ひとつでも考えられて作られてるなあ。さすが!

 

こういう子どものモノって、これまであまりふれる機会がなかったので、齢38で新たな扉を開いた気分。

この歳になると、なかなか新しいことに出会うことはなかったけれど、息子を通してみると、新鮮な世界がまだまだあるんだなあ・・・!と感じます。

 

 

  • 今日の1曲

あなた

あなた

お母さんになってから聴くと、実感がこもる気がする。